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【仏に照らされる】(『シティライフ』平成29年5月13日号掲載)

 ご先祖や想い出尽きぬ故人様は大切でも、仏様とか言われるとピンとこない…ですか?
 中でも浄土真宗の仏様=阿弥陀仏は私達の願いを叶えては下さらない仏様です。そんな仏は無意味、そんな仏は要らない…そうお感じになるかも知れません。
 仏教は宗教です。宗教は私が生きるための教えです。仏とは、自分の願いを押し付け、私の言うことを聞かせる道具ではありません。
 私には仏が見えません…でもそれ以上に見えていないのは我が姿です。
仏は私を照らします。そして私自身を明らかにして下さいます。照らし出された素の自分に向き合うことはとても辛い…でも、それ以外に自分の本当の姿、歩むべき道を知る方法はありません。自分から逃げずに、為すべきことは為す。ある意味「当たり前の人生」の後押しをして下さるのが仏様です。仏の慈光の中こそは、自分が素直になり、自分の人生を見つめ直せる場所なのです。

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【往生したけりゃ…】(弘教寺だより 平成29年5月号掲載)

 『大往生したけりゃ 医療とかかわるな』(医師/中村仁一氏著)という本が出版されました。中身が過激です。「世間での様々な取り組みは結局『弱っても死ねない身体作り』をしているだけ。そして誰もが「ピンピンコロリ」を願うが、それは1等7億円のジャンボ宝くじに当たるより難しい」「ぼけの完全な予防法は『ぼける前に死ぬこと』」「長寿地獄…『長生きはつらい』と知っていますか」「高度な医療は重度の障害者をつくる」…もう、誰もが聞きたくないことのオンパレードです。
筆者の結論は御本を御読み頂くとして、ならば浄土真宗の御教えを頂く私達はどう生くべきか…答えは一つです。「念仏申して仏と生まれさせて頂く人生を歩むこと」です。
 拍子抜けですか。そのお気持ちの裏側にはそんなことでは情けない。念仏などに頼らず、自分で今後の人生をしっかり生きていかなくてはならない…という決意が見えます。自分の身は自分で何とかすべきもの、いえ、何とかなるものという思いが見えます。
 この身は自分の思いで何とかなるものではないことを教えるのが仏様…だから『往生したけりゃ 仏法にこそかかわれ』が正解です。

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【チャンス到来】(『シティライフ』平成29年4月8日号掲載)

 希望に溢れる春到来!…にも関わらず気分は憂うつ。環境変化によるストレスや、自律神経の乱れからくる「春うつ」という病気もあるそうですからご注意下さい。
 春は楽しみ以上に不安で心配だ…どうかピンチこそチャンス(機会)だと前向きに受け止めてみてください。様々なことを考える、変える、見直す。それが出来る時節なのです。ピンチだと思えば弱気になりがちで、他の人の意見や占い等に頼ってしまうということもあるかも知れません。でもそれではせっかくの、御自身に恵まれた選択のチャンスを潰してしまうことになりかねません。
 人生に失敗は付き物。いえ失敗すらも糧となるからこそ、失敗だと思わなくて良いのです。当たって砕けろ…です。
「乗り越えられない試練が与えられることはない」…この言葉の真偽はあなたが決めるのです。仏様はあなたのピンチ・チャンスにずっとご一緒です。人生に安心を与え続けて下さるお方です。

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【僧侶の悩み】(弘教寺だより 平成29年4月号掲載)

 僧侶として仏教者として最近考え込むことがあります。浄土真宗は聞法の宗教であり、「ただ仏法は聴聞にきはまることなり」と蓮如上人もおっしゃっています。高名な布教使さんには「追っかけ同行」もおみえになるとか…。仏法御聴聞が大切であることにはもちろん異論はありません。
 で、その後なのです。御聴聞して仏法が有り難いと感激し、喜ぶ…そうしたら私はどうすればよいのでしょう。
 そこからは報謝行となるといわれます。決まった行為があるわけではなく、仏法への感謝の営みは個人に委ねられるのです。ここが厳しいところです。自信教人信…自らが信じてその頂いたところ・喜びを他の人にも伝えていくことが大切ですが、それは仏法を伝えることに限られるのでしょうか。御同朋御同行の御教えからすれば、他の人と聞法の喜び・幸せを分かつべきだと思うのですが、それは具体的にはどういう形となるのでしょう。いわゆるボランティア的活動とは違うのでしょうか。自身がすくいに出遇ったよろこびの暮らしをすればそれで良いのでしょうか? 外からは何もしていないように見えても。悩みます…。

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【選択あるが故に】(『シティライフ』平成29年3月11日号掲載)

 「悩み」は何とか無くしたいものの代表です。例えば健康だった自分が病気になってしまった…本当に辛く、悩みは尽きません。元の健康な状態に戻りたいと思います。
 健康な状態と病気の状態がある。どちらを選ぶかは自分の自由のはず…なのに出来ない。そうしますと、悩みとは「選択の余地から生まれる」ものと言えそうです。 
 逆に言えば、もうこれしかないと思い定まれば悩みは生まれません。唯ひたすらその道を歩むしかないからです。人生には多くの選択肢があるようでいて、自分で自由に選べるものではありません。皆、殆どそうせざるを得ない状況に置かれて生きてきたのです。
 その事実に気付き、事実を受け入れて生きる道を勧めるのが仏様です。 いえ、私に気付かしめ、受け入れさせるのが仏のはたらきです。悩み苦しみ無い人生を歩ませたいが故の仏の決断でした。私に真実なる念仏の一本道を歩ませるのも仏のおはたらきなのです。

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【私の感覚の不確かさ】(弘教寺だより 平成29年3月号掲載)

 娘が、かつて私が申した「お化けなんか怖くないよ。本当に怖いのは生きている人間の方だよ」という言葉にいたく感じ入ったそうで、それ以来お化けは怖くないのだと言います。
 しかし、今もお化けや幽霊といった存在に恐怖心をお持ちのお方は少なくないと思います。死んだ後の世界は分かりません。『幽霊って本当にいるかも…』と思えばそれは怖いでしょう。でも同じように『幽霊って本当はあり得ないかも…』と考えれば、あれ、不思議?怖くない! そんな感覚ありませんか。人間の思い、感情なんてそんなもの、そんな程度のものなのです。
 浄土の世界、仏のいのちも私が「わかった」と言うべき性質の存在ではありません。それらはお釈迦様のお悟りの内容が人間の言語によって伝えられたものであり、「色も形もなく想像することすら出来ず、まして言葉で言い表すことなど出来ない」仏様を、何とか私に伝えようとして下された釈尊の御心を頂くことが大切です。分からなくて良い、信じなくて良い、ただなぜそのような仏様の世界が説かれたのかに思いを致して下さい。
 今現に苦しみの中生きてる私の為? その通りです…。

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【今、有り難う】(『シティライフ』平成29年2月11日号掲載)

 「今まで有り難う」…涙ながらのご遺族のお声です。別れは悲しいものですよね。
 「今まで」ではなく「今、有り難う」そして「これからもよろしくね」と言えた方がうれしいのです。そんな思いは故人様が仏様と成られ、既に仏様として私のところに還って来て下さっていると私が受け止められたときに生まれます。
 「そう思えというのが仏教か?」…ご批判はあるでしょう。でも、故人様は「死亡」され、もう存在しないということを素直に受け止められますか。「私は最後まで自分を頼りに生きるんだ」宣言が出来ますか。老病死からどうにも逃げられないこの身であるのに。
 死んで亡くなるのではなく、浄土の世界に『往』きて仏と『生』まれるから「往生」と申します。その方が遺された私はうれしいし、生き易い。その事実を見抜いたお方を仏様と申します。私に往生成仏を明かし、そのことを受け止めさせるのも全て仏のはたらきなのです。

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【たすけは、たすからない私の為に】(弘教寺だより 平成29年2月号掲載)

 シラサギが交通量の多いアスファルト道路上に立ち尽くしており、私も他の車と同じく除けて通行しました。多分あと何時間も生きてはいなかったと思います。残酷ですね…これが人間であったら大問題です。
 ヒトは「人」になりました。「人間園」を作りその中で生きることにしました。必要不可欠な食を含めて助け合って皆で生きることを選択したのです。全ての人の生きる権利を認めたのです。だから困っている人がいたら助けなくてはなりません。自分も困ったら人に助けてもらいたいと思います。助け合わねば助からない、生きていけない生物が人です。もう単なるヒトという種の動物ではないのです。
 でも人にも他の人を助けられないことがあります。老いや重い病、そして死です。他人には手出し出来ない苦悩に沈む、そんな私を助けると誓って下さったのが阿弥陀仏です。浄土に迎え仏とせしめる、ゆえに我に任せよとおっしゃいます。助けるのは助からない私の存在を見抜かれたからです。阿弥陀仏にお任せとは私は何ともならないことを素直に受け止めたところです。助かるとは阿弥陀仏のおすくいに出遇えた姿です。理屈ぽいですか?

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【聞く・聴く】(『シティライフ』平成29年1月14日号掲載)

 「人の話を素直に聞く」…出来そうで出来ないことの一つです。私は自分の知識・経験で物事を聞き分けます。だから、自分の価値判断力を超えた事柄は「あり得ない」として、受け入れることを拒絶するのです。これが私の聞く態度です。
もちろん現代社会で全てを鵜呑みにしていては、情報過多で混乱してしまいます。正しい情報こそが大切です。
 ただその状態では、正しいかどうか判断出来ない情報は全て排除するしか無くなります。例えば自分の死後の世界。否定するだけでは死はわからないまま不安なまま。その状態で死ぬのなら苦悩は避けられません。
 「浄土」の世界は知識として理解するのではなく、なぜ釈尊がそのような世界を説かれたのかに思いを致すことが大切です。考えても仕方ないが、結局向き合わざるを得ない自らのいのちの大問題。今年はその問題へのチャレンジ元年としませんか。「仏法御聴聞」元年にしませんか?

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【仏様を知るとは…】(弘教寺だより 平成29年1月号掲載)

 今年こそ、仏様というものがわかるかな…年頭にそう願ったお方もおみえでしょうか。
 仏・浄土がわからないのは死ぬ気で生きていないからかも知れません。今が幸せで、この状態が続いていくのかなと思えば仏様なんて用事がないでしょう。厳しい表現お許し下さい。
 様々な問題を少しでも減らそうと頑張って来た私達。もちろん問題無い暮らしなどありませんが、甲斐あって少しずつでも問題は減ってきているのかも知れません。問題が減れば苦悩から生じる問いも減ります。問いが減れば答えは要らなくなるということです。
 浄土真宗の答えは仏になることです。悟りをひらき、悩み苦しみから解放されることです。永遠の命を戴き、老病死の苦を離れることです。今現在の私にはそのような苦しみがしっかり備わっていることに気付くことから問いが生まれ、成仏という答えの尊さ・有り難さが身に染みます。
 仏に生まれるとは、自身のとらわれからの解放です。執着心・こだわり故、自身で抱え込んでいる悩み苦しみを捨て去ることです。出来るだろうか…まずは仏道を歩んでみましょう。浄土真宗ではそれを聴聞と申します。

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