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【悩み相談】(『シティライフ』平成28年8月13日号掲載)

 僧侶が悩み相談をお受けする「ハスノハ」というサイトで偉そうに回答させて頂いております。
 世には本当に多くのお方が、様々なことで悩んでおられることを実感します。そして回答に対し有り難うございましたという御礼を頂くとこちらもうれしくなります。
ただ、有り難い気持ち=安心は賞味期間が極めて短いのです。またすぐに不安で、不幸な気持ちに戻りがちです。
仏教は自分が安心を得るために用いる道具ではありません。安心を求めるのではなく、「安心を求める心を手離す」ことを教えるのです。
「私は私で良かった」…かどうかはわかりません。でもともかく「私は私で生きていかなくてはならない」のが現実です。
人生は厳しいです。しっかり生きよと言われ、自らもそう思う…でも出来ない。出来なくて良いよと御仏はおっしゃらないけれど、ただ不安でどうしようもない私に寄り添って下さる。そのおはたらきを「仏」と申します。

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【会館竣工 感謝…】(弘教寺だより 平成28年8月号掲載)

 この寺報がお手元に届いた頃には、「もんしんと会館」はほぼ完成しているかと思います。関係者の方々が夏の暑い中クーラーを付けずに工事をして下さっておられました。今現在は外構の工事をして頂いています。
思うのです…この世で一番偉いのは「つべこべ文句言わずに生きている人」なんだと。辛いけれど、嫌だけれど、面倒だけど、でも自分の勤めをしっかり果たしている人のことです。
 普段は気付かない「縁の下の力持ち」こそがこの社会を支え、動かしているのです。本願寺の食前のことばに「多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました」とあります。まさにその通りです。
 もんしんと会館は皆様方の御懇念により建設されました。住職は一本の釘も打っておりません。それでも、多くのお方の尊い御志と御力・汗水によって完成致します。
 我が苦悩を無くすことは簡単には出来ませんが、会館があれば悩みを語って頂くことが出来やすくなる、苦しみを分かつことでお心が軽くなるかも知れない…。どうか会館にお越し頂き、何でもお話し下さい。そして何より仏様の願いを聞かせて頂きましょう。

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【動物と人間】(『シティライフ』平成28年7月9日号掲載)

 5月下旬にゾウのはな子が69才で死去しました。ずいぶん長生きしたのですね。でも園舎内での一生は自由のないままだったでしょう。
 ああ、私は人間で良かった…本当にそうでしょうか? 人間は生物学的にはヒトです。ヒトの子は育てられる中で、ヒトから人間になることを要求されます。人間だからこそ、ただ「生きる」のではなく、生きることを活かす…「生活」を強制されます。ヒトは本能のままに生きる動物なのに、人間という「理性」を持った存在であることを求められるのです。
 もしヒトとして本能のままに生きられたら悩みはなくなる…その代わり、自分が他のヒトに襲われ、命落とすことも認めざるを得ませんが。
 ヒトと人間という別なる存在がこの私の中で同居している。この矛盾こそが苦悩の根本です。私に何とか出来る問題ではない…その事実を見抜かれたのがお釈迦様で、人間のすくいは仏に仕上げて頂くほかないのです。

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【『安心』論争】(弘教寺だより 平成28年7月号掲載)

 「安心」論争が勃発しました。坊守は「この身を阿弥陀様にお任せをすることで安心する。その安心が無くて何がすくいか。どこまでも心配がつきまとうから安心したい。その安心を皆が求めるのではないか」と主張します。
 浄土真宗のおすくいは「阿弥陀様にお任せすること」で、私が安心するかどうかは仏様には無関係です。安心とは我が心が満たされた状態であり、煩悩そのままの姿です。ですから安心は一瞬で不安へと転換してしまうことがあります。我が心は移ろいやすいのです。
 阿弥陀様は、そんな私を念仏一つですくうと誓われました。だから「安心」も「不安」も手放して、ただ念仏申していく御教えです。
「はぁ~」とため息一つついて、お念仏して、それから又命ある限り生きて参りましょう…モデルを示すことは誤解を生むかも知れませんが、これこそがお聴聞させて頂いた姿かと思います。今日のお話は良かった、有り難かった…の感想はその頂き方をよくよく御自身で吟味なさって下さいませ。いろいろ難しいことを申しましたが、結論はお念仏申しましょうということです。その理由はどうぞ、御聴聞を重ねることで御自身で頂かれて下さい。

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【死の確率】(『シティライフ』平成28年6月11日号掲載)

 「知ってます。100%でしょ」…その通りです。 でも今日明日死ぬ確率となれば感覚として宝くじに当たるようなものでしょう。年末ジャンボで2千万分の一なんていう当選確率が紹介されていました。だからまず当たらないと思うのです。
 でも平成26年の国内死亡者数は約127万人。私が生きてきた歳月には間違いなく数千万人が亡くなっておられます。そう考えると自分の死の確率が宝くじみたいと笑えないのでした。
私の死は確実。しかし、私が私として生まれてきたことは奇跡です。何せ他の生き物ではなく人間に生まれたんです。宝くじに当たる方がよっぽどたやすいことでしょう。
 人間に生まれたことがなぜ尊いか…仏法に出遇えるからです。お悟りへの道が開かれるからです。死で終わらない仏のいのちが頂けるからです。どうか奇跡で仕上がったあなたの御身と共に、確かな依り処である仏法を御大切になさって下さい。

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【お化けと仏様】(弘教寺だより 平成28年6月号掲載)

 お化けと幽霊、仏様…その違いは何でしょうか? 良く分からんとおっしゃるお方は多いでしょう。というより分からんのはお化けではなくて、実は仏様の方じゃないでしょうか。
 お化けは見えるか見えないか…もちろん見えるのです。だって目撃した方が今までにたくさんみえるんでしょ。仏様はどうか…見えるとも言えるし、見えないとも言える。ほら、坊さん特有のケムに巻く?禅問答を始めた…。 寺では御木像の阿弥陀仏を見ることが出来ますよね。しかし故人が成仏したと聞くけれど、その方がこちらの阿弥陀木像に変化されたとは思えない。何しろこの木像は故人逝去の前からあった…やはり見えないんだ。
 実は仏教は「見えないものでも信ぜよ」の教えではありません。「『見えないものは信じない』我が心(我執)を離れよ」と説く教えです。
 お化けは人を怖がらせるけれど、仏様は私を優しく包む「おはたらき」です。そうでないとあなたは生きられないし、そのように我を依り処としていいんだよ、いや依り処としておくれよと呼び掛け通しの存在です。それこそが我にこだわり続ける頑固ゴコロを離れる道、私が歩むべき道だと示す『道理』が仏様です。

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【我の受容】(『シティライフ』平成28年5月14日号掲載)

 我が身を丸ごと受け入れる…当たり前のようで、難しいことです。
何とかより良い自分を目指す私です。誉められればお世辞であっても喜び、けなされると軽い冗句であっても激怒する。自分は自分が大好きなのです。理想の自分が…。でも理想の自分になれない自分には愛想が尽きます。こんな面倒くさい我が心を煩悩と申します。
 仏様はそんな私が心配で御心寄せて下さり、そこに仏との出遇いが恵まれます。仏と出遇うとは我の煩悩との出遇いであり、煩悩の存在であることに気付くことです。
 仏は「あなたの人生を必ず安らかなものとする」とお誓い下さいます。それは正に「親心」であって、だからこそ仏を「親様」と申します。そんな温かいお慈悲に抱かれ、わが身を委ねたときに初めて自分の至らなさを認めることが出来るのです。何ともならぬ私は仏様を依り所として生きていきます。他には道は無くとも、「仏道」は私に開かれているのですから。

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【実母と慈母】(弘教寺だより 平成28年5月号掲載)

 去る3月末に誘拐監禁されていた女子中学生が無事に保護されました。2年ぶりの親子の再会…多分娘さんの第一声は「お母さん!」だったのではないかと想像します。
 お母さんを「お母さん」と呼べる人は幸せです。自分にとって一番大切な人が自分の身近に存在しているからです。お母さんは元気で優しければうれしい。でも寝たきりや痴呆症のお母様もおみえでしょう。それでも「お母さん」と呼び掛けることの出来るお方の存在が有り難いのです。無条件で安心出来る私のお母さんであるからです。ただ世には母をお母さんと呼ぶことの出来ない方もおみえです。
 阿弥陀仏は、私に念仏称えてくれよとおっしゃいます。念仏称えるとは私が仏を頂いた姿です。「念仏なんて称えられるか!」は私が仏を頂かない姿です。仏を頂かないならば、私は私の人生を私を依り処に生きていくことになります。それが出来れば問題ありません。でも、自分では大丈夫と思っても、仏様は私を大丈夫だとはみておられません。私が仏を仏と頂くことで、私が安心の人生を歩むことが出来る。それが仏の見立てです。それが仏のすくいです。仏は『慈母』でありました。

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【餞・はなむけ】(『シティライフ』平成28年4月9日号掲載)

 新生活が始まったお方もおみえでしょう。『心機一転 頑張るゾ!』と決意されたかも知れません。心機一転とは何かのきっかけに、気持ちを良い方へ入れ替えることです。でも気持ちを変えても自分自身が変わったわけではありません。だから気持ちが後戻りしてしまうこともあるでしょう。
 心機一転する必要はあるのでしょうか? 出来れば変わりたい私は、実は変化が嫌いで、どうにも変わりようのない存在です。ため息が出てしまいますが、こんな私を阿弥陀様はあきらめません。あなたを希望や見込みがないと見限ることはなさらないお方です。阿弥陀様はおさとり(諦)ひらかれた御仏なのに、私にだけは諦(あきら)めが悪いのです。
 今のあなたへの餞は、あなたを支え、導き、必ずすくう…そんな尊い御念仏です。仏法を鏡として、常に我が身を省みつつ、失敗も糧として頂き、御念仏と共に一度きりの人生をしっかりと生き抜いて参りましょう。

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【人間成長の必須要素】(弘教寺だより 平成28年4月号掲載)

 植物の成長に必要な要素は「水」「空気」「適当な温度」「光」そして「肥料」だそうです。動物や昆虫の成長にはそれぞれに合った食べ物が必要です。そして人間の成長に必要なものは…もちろん食べ物は不可欠ですが、特に人間だけに大量に必要とされるものがあります…それは『愛情』です。人は徹底的に愛情を受けないと上手く育つことが出来ません(動物的な表現方法はどうぞお許し下さい)。
 チンパンジーには物の所有意識があるそうです。ですからエサの交換をするのだそうですが、自分が得するように…という思いは無いといいます。人間は高度な知能を獲得したが故に損得の概念を持ちます。当然自分は得をしたい…しかし、その願いは損をした他人の存在によって初めて叶えられます。他の動物には無縁なる、新たな苦悩の誕生です。だからこそ、これら苦悩を超えるには深く大きな親・保護者の愛情が必要なのです。
 もちろん親だって愛情不足で育ったかも知れず、生きる為には子に愛情を注ぐより仕事を優先することもあったでしょう。結局、親も私もお慈悲を注いで下さる阿弥陀様無しにはちゃんと生きられない存在だったんですね。

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