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【自分を見つめる】(『シティライフ』平成30年9月8日号掲載)

 皆何かと不調を抱えているものです。そして自分の具合が悪い時こそ他人が気になります。幸せそうな人が羨ましくなります。逆に何かが起きたらしい人のウワサ話で盛り上がりたくなります。
 でも人様のことはもういいですよね。家族間でも余計な詮索・心配は止めておきましょう。その分、今の自分にしっかりと向き合いましょう。
 自分に出来ないこと、不安なことを数え上げたらキリがありません。それよりも、今の自分に出来ること、今しか出来ないことを考えませんか。
 死の間際に後悔するのは、必ず「やり残したこと」です。それも元々出来そうもないことではなく、行動を起こせば何とかなっていたかも知れないことの方でしょう。
 仏様は私の全てをお見抜きです。だからこそ私を後悔させたくなくて、我が思いを優しくサポートして下さっています。そんなおはたらきの中でこそ、自分を見つめることが出来ます。私の生くべき道が定まります。

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【仏様との出遇い】(弘教寺だより 平成30年9月号掲載)

 坊さんは仏様を信じているなら、強がらないで仏様に願い事をすれば良いじゃないか…直接そんなご意見を伺ったことはありませんが、そうお考えのお方もいらっしゃるかも知れません。一つ申せることは、正確には「坊さんは仏様に願いごとをしただけでは叶わないことを信じている」のです。
 浄土真宗は仏様と出遇う教えです。それはそのまま、「仏様、本当のことを教えて下さい。聞きたいです。知りたいです」という自分との出遇いです。「もっとちゃんと生きよう、生き直そう、今から出来ることやろう」という自分との出遇いです。「真面目に一生懸命生きたいです」という思いを仏様は聞いてくださるのです。もちろん煩悩だらけの我が心は真面目に生きることを望みながら、一方で休もう、怠けようとばかり考えていますが…。
「このままでいい」と思う人には阿弥陀仏は要りません。仏は私に「そのままでいい」なんて一言もおっしゃっていません。ただ、「そのまますくう」とおっしゃい続けます。このまますくわれていくしか他に生きる道の無い私。だからこそ感謝の思いから、ほんの少しでも何かは出来るんじゃ無いかと思う私です。

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【思考の偏り】(『シティライフ』平成30年8月11日号掲載)

 人は物事を客観的に見ていると思っていますが、実は様々な偏った見方をしているものです。例えば「あの人は雨男だ」「だから止めとけと言ったのに」「ここまで津波は来ないだろう」「行列の出来る店はやっぱり美味しいな」「このやり方であってるはずだ」等です。これを認知バイアスと言い、生きる上で少ない情報を基に素早い判断をするために必要なことなのだそうです。
 普段にそんな自分の思考の偏りに気付くことはありません。そして偏った判断が自分にマイナスをもたらしている可能性は容易に想像出来ます。
 この思考も我が本能です。そんな私に仏は告げられます…「何ともならないな」と。でもそんな御諭しを受け止めようともしない私です。
 私は自分が正しいと思う考え方を変えられない、それ故につらい思いをする。だから私の苦悩を一緒に背負うことを選択されたのが仏様です。仏の大慈悲心が今、私に届いて下さっています。

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【他に任せない私】(弘教寺だより 平成30年8月号掲載)

 「我に任せよ 必ずすくう」が阿弥陀様の御本願(誓いと願い)です。有り難いことです…でもその喜びの心は「すくうとか言うんだから何とか大丈夫そうだ」ではありませんか。
 私は普通「任せる」ことなんかしません。よほど相手を信頼しないと任せるなんて出来るわけがありません。信頼出来る相手に出遇わないと私は頼ること、頼むことをしません。
信頼し任せることが出来る相手など、真剣に探し求めなければ一生出遇うことはないでしょう。そして、そんな相手に出遇えなければ…自分を頼みに、自分で自分の人生を生きることになります。実際「普通の人」は皆そうしています。「老病死丸抱えで、苦悩から逃れることも出来ない自分」を依り処として生きているのです。まだまだ自分は大丈夫だと言い聞かせて。いや恐ろしいから自身を見つめ、考えることを放棄して…。
 「我に任せよ 必ずすくう」を有り難いと鵜呑みにする前に、「あなたはどうにもならんからこそ、私 弥陀があなたの全てを引き受けた。任せなさい」とおっしゃったのだと頂くことが大事です。どうにもならない私の為にどうあってもすくうと弥陀は誓われたのです。

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【仏に任せる】(『シティライフ』平成30年7月14日号掲載)

 奥歯の被せ物が取れてしまい、歯科に掛かりました。内部には虫歯が進行していて、思いがけず治療が必要とのことです。今回は大したことは無かったのですが、これがもし…。でも、大事であろうと無かろうと歯科医にお任せは一緒です。大体、自分の歯でありながらその状態をよく知らない上に、自分では全く何とも出来ないのです。
 実は仏教も同じです。自分のことは自分で出来る、やるべきだと思っているけれど、自分の体調が悪化したときどうするか。その時は医師に任せよう…でも医師にもう治療法は無いと宣告されたら…その後は誰を、何を頼みとすべきでしょう。
 私が何ともならない時それでも任せよが仏様です。どうにもならぬと認め、仏を依り処として病は治らぬままにお任せしたところを仏法では「間に合った」と申します。お任せとは、出来ないことを出来ぬと気付き、今出来る範囲で自分のいのち精一杯を生き抜くこと。これ即ち仏道です。

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【応援すべきは…】(弘教寺だより 平成30年7月号掲載)

 サッカーワールドカップで盛り上がる中、入浴中に外を走る車から聞こえてきたのは懐かしいスマップの『世界に一つだけの花』でした。
「♪ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン…」という歌詞が印象的ですが、ならばスポーツの世界とこの歌は相性が悪いような気がしました。とても一番になれない、出来ない…そんな私は知らずに日本サッカーチームに夢を託しているのでしょうか。大体お釈迦様はスポーツをどのようにお考えだったのだろうと考えてしまいました。
 受け売りで恐縮ですが、釈尊の前世の物語を集めた「ジャータカ」にはタキシラで武術を学んだという記述があるそうです。たとえ武術であっても、自己の精神・肉体の鍛錬の為であれば有用だということでしょう。人を傷付ける為ではなく、ルールに則ってのスポーツは仏教的にも問題無いようです。
 サッカーチームもですが、それ以上にもっと大切な自分を応援しましょう。自分など…と遠慮されるお方を、仏様が応援して下さいます。応援どころか山坂だらけ、石ころだらけの人生を一緒に走り、時にはおぶって下さって、最後まで生き抜かせて下さるお方です。

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【毎日を精一杯生きる】(『シティライフ』平成30年6月9日号掲載)

 「歳を取ると何も良いことがない」…この発言こそは分別(煩悩)の極みです。確かに老化によって身体に様々な具合の悪いところが出てきます。嘆きたくもなるでしょう。でも、その時「私の身体よ、今まで長い間しっかり働いてくれて有り難う」という感謝を忘れていませんか。
 人生は長生き(量)だけではなく、生き方(質)が大事です。一日一日を大切に生き切ることです。今日一日生き長らえて有り難いと喜びながら眠りにつくのです。そして翌朝目覚めることが出来たら、そのことに又感謝する。一日一日の足し算こそが人生です…これらは田畑正久医師が講演で語られた内容です。
 毎日を精一杯生きるしかありません。それ以上は出来ないのだから、後は思い悩んでも仕方ないのです。我に任せよの阿弥陀という仏様を頼りとし、生きる。それは我が命、我が人生への無理なる執着を離れることです。しなくていい苦悩を抱え込まない道筋です。

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【死んでいける道】(弘教寺だより 平成30年6月号掲載)

 5月4日、三重の実家の寺の「寺号公称四百年記念法要」に参詣して参りました。もう、御門徒さん方誰も分かりません。相手もそうです。どこのお坊さん?状態でした。
 当日は佐々木大観氏が御法話をなされましたが、肝要を少しだけ…「人間、生きることへの問いがなくなると成長が止まる」「阿弥陀仏を有り難いと思わない人は、自分のことが分からない人…何故なら、阿弥陀様の中身は私で出来ているのだから(私が存在するが故にすくいが必要となり、その為に阿弥陀様という仏が現れた)」「念仏称えるときに、この念仏は仏様だ。私をすくうために来て下さっている仏様だと頂く。そうしたら安心が生まれる」「怖がらんでいい。極楽浄土に必ず連れて行くぞの阿弥陀様だ」等々。
 古臭い説教とお感じになりますか。でも、これが浄土真宗の教えそのものです。聞かなくても生きていけます。でも聞かなくて死んでいけますか? 自分の死を自分でちゃんと引き受けられるなら、仏教など必要ありません。仏教は教えですから、聞く気が無いと時間の無駄になります。死は避けて通れぬ道。どう迎えますか…逃げは許されません。

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【無財の七施】(『シティライフ』平成30年5月12日号掲載)

 布施(ふせ)とは他人に財物を施したり、相手に教えを説くなど「与えること」で、仏教における主要な行(実践)です。布施には「お坊さんへ」という限定はありません。財施にはお金だけでなく衣服や食料も含みます。
そして、大切なのが無財の七施です。①優しい目で人に接する ②穏やかな表情で人に接する ③優しい言葉で人に接し、挨拶を実践 ④自分に出来る奉仕 ⑤心配り。共に喜び悲しむ心 ⑥座席・場所を譲る。後進に地位を譲る ⑦来客を温かく迎える。様々な場所の掃除・整頓。これらの行為にはお金は掛かりません。でも実行には何となくためらいが…。
「あなたの苦しみは私の苦しみ。だから私はあなたに寄り添います」とは仏様。そんな尊いお慈悲の御心を頂けたとき、自身に感謝と歓喜が恵まれます。そしてそれこそがあなたを「他人ではない、同じような苦しみを抱えて必死に生きているお仲間」への温かな行為に向かわせるのです。

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【変わらぬなら、変えてしまえ?】(弘教寺だより 平成30年5月号掲載)

 僧侶である私は、内心の思いはあっても政治的発言は差し控えさせて頂いています。
 だから、一般論として申しますが、今の状況に一応満足しているなら、このままの政治で良いでしょうし、またこの状況を変えたいと思えば政治家に代わって欲しいと思うものです。現状を変えるに、手っ取り早く政治家代えてしまえ…となるのです。私達は自分の側を変えよう、自分が変わろうとは思わないのです。簡単な理由からです。それは大変で面倒だからです。
 自分は変わらずとも周囲を変えて、自分に都合の良い環境を作り上げればよい…頭の良い私達はそう考えます。この頭の良さこそを煩悩と申します。
 自分は変わりたくない。でも現実には諸行無常で、私の身体・心はこの瞬間にも変化しています。老いに向かい、死に向かっています。それこそは変えようのない事実です。政治に関心を持つことは大切です。そして、それにもまして御自身に興味を持って下さい。見据えて下さい。私は今生きている…だからこそ、しっかりと生きる義務と権利があります。仏様がそんな私に真の生きる道を明かします。

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