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【死んでいける道】(弘教寺だより 平成30年6月号掲載)

 5月4日、三重の実家の寺の「寺号公称四百年記念法要」に参詣して参りました。もう、御門徒さん方誰も分かりません。相手もそうです。どこのお坊さん?状態でした。
 当日は佐々木大観氏が御法話をなされましたが、肝要を少しだけ…「人間、生きることへの問いがなくなると成長が止まる」「阿弥陀仏を有り難いと思わない人は、自分のことが分からない人…何故なら、阿弥陀様の中身は私で出来ているのだから(私が存在するが故にすくいが必要となり、その為に阿弥陀様という仏が現れた)」「念仏称えるときに、この念仏は仏様だ。私をすくうために来て下さっている仏様だと頂く。そうしたら安心が生まれる」「怖がらんでいい。極楽浄土に必ず連れて行くぞの阿弥陀様だ」等々。
 古臭い説教とお感じになりますか。でも、これが浄土真宗の教えそのものです。聞かなくても生きていけます。でも聞かなくて死んでいけますか? 自分の死を自分でちゃんと引き受けられるなら、仏教など必要ありません。仏教は教えですから、聞く気が無いと時間の無駄になります。死は避けて通れぬ道。どう迎えますか…逃げは許されません。