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【仏法聴聞の意味】(『シティライフ』平成31年3月9日号掲載)

 寺社にてお賽銭を納めて願い事をする。それで願いが叶えば問題はありませんが、もし叶わなかったら?…方法はあります。お賽銭の額を増やして再度お願いしてみるのです。願いが叶うかも!という希望がある限り人は生きていけるのです。
これを煩悩と申します。望みを絶ったなら、「絶望」ということになるのでしょうが、仏教的には望みを持たないその状態を悟りと申します。 仏教は願い(煩悩)を断つことを教えます。希望を捨てれば、叶えられないと嘆くこともないからです。でも出来ますか?
 阿弥陀仏は私が願いを捨てられず、苦しむことを見抜かれたが為に、私に念仏を恵まれました。私を念仏申す身に育て上げ、悟りの完成した仏とせしめるとお誓い下されたのです。実は私が仏に南無(帰依)することも阿弥陀仏の仕事であり、既に仕上がっているのです。なぜ仏は「余計な御節介」までなされたのか、全て我が為と頂く迄聞き抜くのが仏法聴聞です。

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